walk with Mocha

妄想を核として形成している

20年を少し振り返って→これからへ

2019年…たくさんたくさんのことがありました。2月には演劇をし、3月には2ndカガライブ。ライブ参加して、沼津に2回行き、コミケでサークル参加して、10月の学祭で色んな挑戦をして…………

で、2020年にもなり、ラブライブ!フェスがあり、可愛いJKと遊んだり………w


そして私はついに20歳になりました。
20歳記念というか、気持ちの整理というか…
もちゃの全て()を……記していきたいと思います。


ワンクッション!
私の生まれから今までの振り返りって感じです。
文字にしたら今まで考えてたこととかすっきりできるので………
だから多分つまんないよ。
もしも私に過度な期待を寄せていたり、過大評価してる場合は読まないことをおすすめします。
そしていつも通り、長い!

 

 


「少し昔の話をしようか」

 


私には父、母、兄、姉がいます。わかる通り末っ子です。よく言われる末っ子気質も持ち合わせていると思いますが、小さい頃私は兄妹の中で1番しっかりしてると言われて育ってきました。


「父」
昔は一体何の仕事をしているのか分かりませんでした。
友だちにお父さん何の仕事をしているの?と聞かれた時答えられなかった記憶があります。
昼まで寝てそれからどこか行き、夜中に帰ってくる人でした。そして普段無口なので話をあまりしませんでした。
それでも昼いる時は一緒にキャッチボールしたり、バッティングセンターや電気屋に連れてって貰いました。
それでもスキンシップやコミュニケーションが異常なほどに苦手で、私は父親に似たんだなと感じる時が多々あります。


「母」
私が年中さんの頃からまた働き始めました。父よりはお喋りで本が好きで、絵を描いたり詩を書いたりしていました。
私が生まれた頃や、生まれる前はアマチュアとして何らかの活動をしていたようです。
昔は大好きなお母さんでした。
けど今はその考え方がとても嫌いで嫌いで仕方ありません。
どうしてだろう……


「兄」
私の兄はADHDです。
小さい頃はそのことをよく理解していなくて、なんでもかんでもをそれのせいにする母親を不思議に思っていました。
私が生まれた時からずっといる、3つ年上の兄は兄であり、どんな人だろうがそれは個性でした。
何も違わないんです。
だけど病院に行ったり、薬を飲んだりするのでどうしても親は兄に付きっきりだったりしてしまいます。
私はそれが嫌でした。
それでも甘え下手な私は逆にしっかりするようにしてきたのかもしれません。
親の負担を減らすためにも、私がしっかりしなくては……


「姉」
私の姉は1つ年上です。
1つしか変わらないと、双子だと思われたり、比べられることがたくさんあります。
私はさほど気にしていなかったのですが、特に運動面で比べられることが姉はとても嫌だったようです。
また口喧嘩では必ず私が負けるので、私はなるべく穏便に、勝負事では負けるようにしてきました。
姉は仲がいいけど、恐怖でもあります。

 


人の顔色を窺い、どういう発言をすれば平和で居られるか。家族間ですらそうやって生きてきました。だからこそ家族の中で一番家族誰とでも仲が良く、どこに行っても生きていけると言われました。
それはいいことかもしれないけど、小さい頃の私にとっては苦痛でした。
怒ってる時の感情はよく表にでるけど、その他の感情は中々表に出ない子に育ちました。もちろん、楽しい時は楽しいでしたけど…


収入は少なくて裕福な生活が出来たわけではありませんが、私はこの家族だったからこそ今の自分がいるわけなので、恨んではいません。嫌なところはたくさんあるけど、それも全部自分を形成している要素だと思うと何も言えません。
ありがとう、好き、嫌い、自立したい……
様々な感情が渦巻く中、私は今もその家族と暮らしています。

 

 


「自身を変えた存在」


私は幼稚園、小学生初期はとっても引っ込み思案で言いたいことを言うのが恥ずかしくて、手を上げるのも恥ずかしくて、嫌なことも嫌だと素直に言えませんでした。簡単に言えば「私」を隠していました。


そんな私が今のように、自分らしさを表によく出すようになったのが、小学4年生の時に転校してきた子のおかげです。
彼女は4年生の春、私のクラスにやってきました。身長が高く、明るく誰にでも優しい彼女はすぐにクラスに溶け込み、みんなとすぐに仲良くなりました。
私が彼女と仲良くなれたのは、私のその頃の親友のおかげです。彼女が転校してきて、最初に声をかけたのが私の親友でした。
そこからよく話すようになって、帰る方向が一緒だったので途中まで一緒に帰りました。
私が歩くのが速くなったのも、彼女のせいです()
この時、彼女との身長差25cm、歩幅は約倍違います。一緒に帰る時必死に歩いていたのはいい思い出です。


彼女の明るさや自分らしさに導かれるように私は「私」をもっと表に出すようになりました。
自分の言いたいことを言ったり、手を上げるのは今でも恥ずかしいけど、嫌なことがあれば嫌だと少しずつ言えるようになっていきました。


時は進み、小学6年生の時、私は図書委員長になりました。本当に驚きです。
昔はやりたかった委員会にも立候補出来ず、ただ空いた席に座るような子だったのに、委員長になったんですよ?自分の意思で……
だから私は彼女に感謝しかないんです。
彼女とは今でも会ったりします。休み期間になれば遊ぼうと声をかけ、たまに小学生や中学生の頃の黒歴史を話したりします。本当に恥ずかしいけど、やっぱり楽しいんです。

 

 


「人間関係の億劫さ」


人間に慣れていない。コミュニケーション力がない。踏み込むことができない。
人間関係にはたくさん悩まされてきました。今でも悩みます。
一度母に言われたのは「人との関わりに遠慮がちになっている」でした。
確かに私は人とたくさん関わろうとはしません。でも、友だちは欲しいです。でも深く関わることを躊躇します。


小学5年生の時、親友が転校しました。
先程話した小学4年生の時の親友です。
親友とは幼稚園年中さんからの付き合いで、毎週のように遊んでいました。
知らないことを教えてもらったり、一緒に"楽しい"を共有してきました。今まで私にとっての楽しいは基本その子と一緒の時でした。
そんな親友がまさかの転校です。
ずっと仲良くしていた子が転校するっていうのは思っている以上に精神的苦痛です。
私にとっての大きな存在だった親友が突然、会えなくなってしまうのだから……


転校後は1ヶ月に1回は電話をするようにしました。誕生日も毎年祝いました。だけどどうしても離れてしまう。同じ人間関係がないからか、中学生になると連絡しなくなりました。
だけど、高校生になって、自分でバイトをするようになってその子の住んでいるところに自ら遊びに行くことにしたのです。
久しぶりに会った親友は相も変わらず親友で、話していればこれまでもずっと一緒にいたかのように話すことが出来ます。
一緒に青春を過ごせなかった苦痛はあるけれど、これからも多分、私は親友とずっと仲良くしていけると思います。

 


中学生の時、仲良くしてくれた友人がいます。私の通っていた学校は幼稚園、小学校、中学校がエスカレーター式で、中学生になってからも大半が知った人でした。
そんな中、中学から入ってきた子です。
始めて喋ったのは中学1年生の初期に行われる宿泊研修。夜、プラネタリウムをクラスで見に行く時に私と一緒に後ろにいた、後ろ大好き同士です。
その時、話しかけたのがこの子との出会いです。
髪がとっても長くて綺麗で、それを前に垂らすととってもお化けでした。会ってその日にある男子を驚かせて遊んでました。
その子は絵が上手くて、字が綺麗で、勉強が出来て且つオタクでした。尊敬です。
私のオタク人生はこの子から得たものです。


創作系は基本この子に教えて貰いました。
道具を色々持ってて教えてもらったり、使わせてもらったり、家に何度も遊びに行きました。
そして、漫画を貸してくれて見事私を沼に落とした張本人です。
私が色んな相談事をして、その子の相談事も聞きました。
バレンタインにはGODIVAのチョコをくれて、誕生日には猫好好ちゃんの首振り人形をくれるようなとっても懐が広くて、本当に頼りになる、お姉さんのような存在でした。
同じ高校に行こうね、と約束してあぁ私は勉強を頑張らないとなぁと思っていました。


中学3年生の夏休み終わり。その子は家族で旅行に行ってたらしくお土産に匂い袋を買うためにわざわざ好きな匂いを聞いてきました。
夏休みが明けたらお土産をくれるんだ!どこに旅行
行ったんだろう?色々聞かないと。
そうして夏休み明け、その子は学校に来ませんでした。ただの風邪かと思って連絡してみましたが返信はありませんでした。
その内連絡が来るだろうと特にそれ以上連絡しませんでした。
次の日その子はまた学校に来ませんでした。
よく風邪を引いて休む子だったので特に心配していませんでした。
するとその日集会が開かれました。
始業式は昨日しているし、一体何の集会だろうと思いながら全校生徒は体育館に集められました。


「〜さんが死にました」


校長先生の滑舌の悪さで聞き取れませんでした。そのままずっと喋り続ける校長先生。何の話かわからず、後ろに並んでいる子に誰の話?と聞こうとしたら、泣いていました。その後ろの子も……
そこでようやく気付きました。
その友人が死んだことを。


「今週末誕生日だった彼女は14歳という若さで…」


ずっと教えてくれなかった誕生日。
今年度の体育祭の日でした。


14歳。


まだたくさんやりたい事残ってたじゃん。


一緒の高校行くって言ったじゃん。


まだまだ終わってない漫画たくさんあるじゃん。


不思議と私は泣けませんでした。
悲しいのに泣けませんでした。
悔しいのに何も言えませんでした。


お通夜では、クラスで色紙を書くことになりました。
そんな時、「〇〇ちゃんが1番仲良かったから〇〇ちゃんが家族に渡しなよ」と言われ、私にとってはそうでもなかったけど、周りから見たら私が1番仲良かったんだと思いました。


死んだ理由の詳細は今でも私は知りません。
朝起こしに行ったら死んでいたそうです。
事故だったらまだ受け入れられたかもしれませんでした。
9月に行われる合唱祭では私が真ん中でその子の遺影を持ちました。


だから返信が遅いと私は今でも不安になってしまいます。未読で1日経つと、死んだんじゃないかってとても不安になってしまいます。

 


自分にとって大きな存在を2度失い、2度大きな喪失感に苛まれました。
それが私にとって、枷となり、人との深く関わろうとしない原因です。(多分)


それでも私はやっぱりもっとみんなと仲良くなりたいので、勇気を出しますが踏み込むことが出来ません。どこかで諦めて傍観者でいようしているのかもしれません。

 

 


「私の友情観」


私にとっての関係性は2つに分けられます。
知り合い or 友人です。


中学はそれなりに楽しんで過ごしました。授業中はいつも漫画を描いており、高校受験1週間前、休み時間に勉強をしたら「あの○○が勉強してる!?」と言われるほどに勉強していませんでした。
中二病や反抗期が重なり、黒歴史です。
しかし周りはそんな私を過大評価してくれました。友だちからはちゃんと勉強したら県立の上から2番目なら行けると言われたり、専願だったら私立上から2番目の推薦いけたと言われたり……(上から2番目なんだよな)
その過大評価は高校でも続きました。
先生や高校で出来た友だちにたくさん言われました。嬉しい反面、申し訳なさが凄かったです。
私はそんなに出来ない奴なのに、どうしてみんな過大評価するんだろう…


そんな評価してくれる高校で出会った友だちがいます。
その子と初めて話したのは入学式教室に入る前でした。入学式は受付した順に前から座るのですが、1時間、入学式の時間を間違えた私は前の席へと誘われました。その時、後ろにいた子です。
私のクラスは27人中22人が男子でその内の15人ほどが野球部でした。野球部は全員坊主で教室に入る時私とその子は1番最後に入ったのですが、入るのを戸惑いました。
「坊主しかいねぇ」
コミュ障かつ、ネガティブレインだった私たちは初日から仲良くなり、あだ名で呼び合うようになりました。5月頃には先生に中学から一緒だと思われるほどに仲良くなりました。
休み時間も部活もほとんどのことがその子と一緒であり、私の高校の楽しかった思い出はその子抜きでは話せません。


そんな中、一時期話さなくなった時がありました。
何があったかきちんと覚えていないのですが、放課後一緒にいることがなくなりました。
教室移動の時バラバラで行くようになりました。
しかし、原因は分からずそのまま時が過ぎました。
親友であったその子をいつの間にか知り合いという立場に追いやるところでした。
しかしその内関係は直っていきました。
お世話になった先生の事故がきっかけでまた話すようになるとは思いませんでしたが……


少し昔の話をしましょう。
私は中学の時、嫌がらせを受けていました。
しかし当時頭の悪かった私はそれを嫌がらせだと気付かず…というか全く心に傷を追わずどうやってやり返そうかとかばかり考えており、腹が立つことがあれば殴ればいい!という思考の持ち主でした。
中学二年生の修学旅行の時、友だちから友だちの愚痴を聞かされました。また、2年生から3年生の教室移動の時別の人が嫌がらせを受けていました。
それは元々仲の良い友だち同士でした。
「裏切りはつきもの」「どれだけ仲が良くても何かきっかけがあれば仲は割れる」と再認識しました。


さらに昔の話をしましょう。
小学6年生の時です。私を含め6人の仲の良いグループがいました。しかしその中のある1人がハブられ始めました。理由はうざい、媚び売ってる、化粧してる等の理由からでした。しかしここでも頭の悪い私は小学校で毎年開催されるバザーでその子と回る約束をしました。他の子から何でその子と回るの等と言われました。バザーの少し前に6人は先生に呼び出しをくらって怒られました。しかしその場に居合わせただけの私は本当に何も知りませんでした。それをその子に伝えると納得され「○○は分かってなさそうだな〜って思った」等と言われる始末です…


私は基本的に媚びを売りませんし、売れません。
それに嘘をつくのも下手だし、感情がモロバレします。だからこそ私はこの子はみんな嫌ってるから嫌う、この子は好かれてるから自分も好きになる、なんてことは一切しません。
私がその子のことを嫌いであれば嫌うし、好きであれば好きます。相手が離れていくなら何もしないし、距離を縮めようとしてくれるなら積極的になります。
私は自分のこの付かず離れずな友情観を大事に思っています。
だからこそ、友だちと呼べる人は少なく、ほとんどを知り合いと認識してたりします。

 

 


「私の恋愛観」


さて、ここで大変大きな話題です。
恋愛……というものに興味はあっても、いつの間にか恋愛すること自体が面倒くさくなっています。
高校生になると結婚したい、したくないっていう話題がちょくちょく上がりますが、ある人は恋人もいらない。という人もいます。その時私がいつも思うのは「私は恋愛をしたくない、人を好きになりたくないけどな」です。どうしてそんな風になってしまったのだろうか……
これだけは理由が分かりません。みんな友だちでいいじゃないか。友だち以上の関係を求める理由は何なんだろう。
恋人という関係になると今までと何が変わるのか。
分からない私はよく調べます。
あまり話したくないのですが、告られたことがあります。でもその時はもう私は今のような考えの人間だったので、付き合うって何?恋人になりたいの?なんで?疑問が尽きませんでした。

そして何よりそういう気持ちを抱かれていることにとてつもない嫌悪感を感じました。

いや、そもそもその人に言うほど好感を持っていなかったからかもしれない…

しかしどうしてもそういう関係になることが嫌だし、とても気持ち悪いなって思ってしまいました。


私は全人類と友だちになりたいと浅はかな願望があります。
それはただ友だちを増やしたいだけでなく、誰かとどうこうの関係を作りたくないというのもあります。みんな友だち、みんな仲良し……出来ないことは分かっていますが、なるべくみんなと友だちでいたいんです。

何でだろう…恋愛というか恋をしたら変わるのだろうか…しかし恋をしようと思って出来る人間なんてそう居ないと思います。

 


これで多分20歳の私に追いついたと思います。
長々しくてごめんなさいね。
人にはそれぞれの人生があり色んな出来事があります。自分だけが不幸だとは思いませんが、幸せだとも思いません。なるべくしてなった。
全て必然だと考えています。
ただこうやって今までの人生の大きな出来事を文字で表現するだけで何かスッキリするんです。
書いたから忘れることができる。
それを知ったのは最近ですが、今まで溜め込んでいたからこそ出来なかったことがあると思います。
ある意味呪縛からの解放かもしれません。


私はどこにでもいる、核が優しさで出来てる、一般の女の子です。


何も特別なことなんてありません。
大きな何かを成したわけでもありません。

 


ちょっと昔悲しいことがあった。ただそれだけなんです。
誰にでもあることです。


私は私が大嫌いで、大好きです。
20年間生きてきてくれてありがとう。これからの人生もよろしくね。


ハッピーバースデートゥーミー


20年目の人生楽しもう

たくさんたくさん、やりたいことしよう

たくさん創作しよう

そうだね恋人とかいうもの作ってみなよって友だちに言われたじゃん

お酒も飲めるようになったんだし

パーリーしよう

嫌なことあってもその分きっと楽しいことがあるよ

もうこれからは子どもじゃないんだから

私が私であるために

突き進むしかないんだよ

 

ありがとう、ごめんね。